王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

世界帝国 第2章 2/4~東アジアの巨竜清帝国の努力~

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こんにちは。明治大学王室研究会代表の菅間です。

 

前回

oushitsukennkyu.hatenablog.jp

清帝国の続編です。

①複合性

まずは複合性からみていこう。

 

清帝国=中華帝国と思い浮かべる人も多いと思うが、清帝国漢帝国明帝国といった典型的な中華帝国とは形態が異なる。

 

ではどこがどう異なるのかというと、清の皇帝は漢族の君主にあたる中華帝国の皇帝であるが、それだけではなく満州族の王・モンゴルのハーン・イスラム教の保護者・チベット仏教の施主でもあることだ。ここでは特に関係の深かった満州族モンゴル族の関係を中心に説明していこう。

 

チンギス・ハーンモンゴル帝国を建国して以来、モンゴルのみならず中央アジア地域では「ハーン位はチンギスの男系子孫がなるものという慣習ができ、モンゴル帝国及び元帝国が滅亡して以降もその慣習は続けられてきた。たとえティムール(第1章1/3を要確認)のような有力者が中央アジア世界で覇権を唱えてもチンギスの男系子孫でない限り「ハーン」の称号は名乗れなかった。

 

その代わりにムガル帝国のような後世の支配者たちはチンギスの子孫と婚姻関係を結んでいくことによって自らの血統の権威を高めていった。

 

清帝国の皇帝たちもその例外ではない。元々満州族(女真族)はモンゴル勢力の支配下に置かれていたが、初代ヌルハチの代に女真族の連合勢力が台頭し、2代目ホンタイジの代になるとモンゴル勢力のホルチン部と提携し、その後も他のモンゴル勢力をも吸収していった。

 

そんなホンタイジは同盟を組んだホルチン部(チンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルが名祖)の女性である孝荘皇太后を娶り、彼女を通じて後の清帝室にチンギス家の血を受け継いだ。

 

1636年にチンギスの正統な末裔であるチャハル部のエジェイが清に投降しモンゴル帝国以来の王権をホンタイジに譲り、ホンタイジ「ボグド・セチェン・カアン(聖なる賢明なカアン)」の尊称が贈られることで清皇帝は「ハーン」としてモンゴル帝国の後継者となった。

 

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ムガル帝国もチンギス・ハーンの血統で自らの地位を高めたが、清帝国のように正式に「ハーン」を名乗ることはなかったであろう。それほど「ハーン」は重要な称号である。

 

そうして同じ君主を推戴する狩猟文化の女真族・遊牧文化のモンゴル族による満蒙連合政権が成立し、さらに農耕文化である漢族を加えることで「同君連合国家清帝国につながっていった。

 

 また、清帝国チベットとも関係が深かった。モンゴル族チベット仏教を信仰していたのもあってか、清帝国施主(日本でいう檀家みたいな存在)としてチベット仏教を保護していた。満州族の「満州」もチベット仏教の「文殊菩薩」からきており、皇帝も文殊菩薩の化身とされていた。映画「ラストエンペラー」にもチベット僧が登場するので清帝国チベットとの繋がりを知って見ると面白いかもしれない。

 

こうして満州族・漢族・モンゴル族ウイグル族チベット族の君主となった清皇帝であったが、1912年の辛亥革命清帝国が滅亡して新たに中華民国が成立すると、自分たちの君主を失い中華民国に従う必要性を感じなかったモンゴル族ウイグル族チベット族は独立の動きを見せ、モンゴル族の一部とチベット族の一部に至っては事実上の独立を果たした。

 

 1949年に中華人民共和国が成立し、翌1950年にチベットに侵攻して中国の領土に組み込んだものの外モンゴルの独立を承認せざるを得ず、清朝の広大な領土を回収しきることは出来なかった。

 

次回は

②皇帝への権力集中

の観点から清帝国を見ていこうと思う。