王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

フランスの通史③ カロリング朝(751~987)

こんにちは。 愛知大学王室研究会代表です。

フランス通史②の続きを書いていきます

 前回

 

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カロリング朝の始まり

パリ勅令を機に宮宰の権力が強くなり、また王国の分割統治によりメロウィング朝の国王は次第に名ばかりの王になっていました。その中カール・マルテルは716年にアウストラシアの宮宰カール・マルテルが分国すべて宮宰につきます。

そして732年トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム勢力であるウマイヤ朝を撃退することで権力を確立します。

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トゥール・ポワティエ間の戦い

 

またこの戦争により封建制度が誕生します。

カール・マルテルの子である小ピピンピピン三世)がメロウィング朝の最後の王キルデリク3世を幽閉し諸侯から推薦される形で国王となります(751~768)。

カロリング朝の始まりです。

その後教皇ステファヌス3世の特使ボニファティウスによる塗油の儀式が行われ正式な王になります。

ここで返礼として756年にラヴェンナ地方をおくることにします。

これが有名なピピンの寄進であり教皇領の始まりです。

カール大帝

その後カール大帝シャルルマーニュ)(768~814)が王位につき最初は弟のカールマン(768~771)との共同統治で始まります。

しかしカールマンは早期に死去したことによりカール大帝は単独の王となります。

版図をイタリアの半分そしてゲルマニアまで拡大しさらにランコバルト王国を占領することで自らランコバルト王も兼務することになります。

さらにドイツ北部のザクセン族を服従しようとザクセン戦争を起こしザクセンまで占領します。

800教皇レオ三世はギリシャと対抗するための後ろ盾として強力な国家の誕生を望んでいたためフランク王国カール大帝西ローマ皇帝の位を授けます。

これによりキリスト教会の支配者としての意味も兼ね宗教的権威を帯びるようになります。

f:id:Fujisakiand:20200429161548j:plainシャルルマーニュ

分割条約

カール大帝の死後、ルイ1世(814~840)(ルートヴィヒ1世)が王位につくことになります。

814カール大帝の息子ルイ1世により帝国整序令が発布され長男のロタール1世(817~840)は共治帝となりその他の子にも相続分が確認されます。

しかしここでルイ1世に新しくカール2世(シャルル2世)が生まれたことで再び内乱がおこります。

この混乱のなか843年ルイ一世の三人の子による分割、ヴェルダン条約が結ばれ一応の収束を見せます。

王国の東部を東フランク王国・ルートヴィヒ二世(843~876)、中央及びイタリアを中フランク王国・ロタール一世(843~855)、西を西フランク王国・シャルル二世(禿頭王)(843~877)に分割され皇帝位はロタールが保持することになりました。

ロタール王国はその後相続の関係でイタリアとロートリンゲン地方が分かれます。

ここでロートリンゲン地方を治めていたロタール2世が死亡すると西フランク王国のシャルル2世がロートリンゲン地方を継承しましたが、これに東フランク王国のルートヴィヒ2世が反対したことにより870年のメルセン条約によりロートリンゲン地方を分割することになります。

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メルセン条約 ヴェルダン条約ではイタリアの中フランク王国が北海までつながっているイメージです。

 

これによりロドリゴが治める中フランク王国イタリア王国に縮小され、残りの領土が東と西に分かれ現在のフランス・ドイツ・イタリアの母体となります。

西フランク王国

シャルル2世は842年にルートヴィヒ2世との間で対ロタール1世のストラスブールの誓いを結び翌年の分割(ヴェルダン条約)の足掛かりを作りました。

このころからヴァイキングが侵攻し始めてきます。

原因は詳しくは不明らしいです。

ルイ2世(877~879)(シャルル2世の子供)、ルイ3世(879~882)と弟カルロマン2世(879~844)の共治帝を経てカール三世(844~877)が王位につきます。カールは元々東フランク王として王位についており(882~887)一度東と西で一時的に統一状態になります。

しかし反乱がおこり西フランクはヴァイキングとの戦いで活躍したパリ伯ウード(888~889)が王を継承することになります。

ウードはカロリング家ではない最初の王になります。

シャルル3世(893~922)が王位につきます。シャルル三世は国内侵攻を止めるべくキリスト教への改宗を条件にヴァイキングに対してノルマンディーに定住権を与え、これによりノルマンディー公国が誕生します。

ここからノルマンディー公ウイリアム(仏ギョーム)がノルマン・コンクエストを行いイングランドノルマン朝を立てるのはまた別のお話。

シャルルは権力が強まっていた地方諸侯により不満がでて廃位されこの反乱の主導者ロベール1世が王になります(922~923)。

なぜ地方諸侯の権力が強くなったかといいますとヴァイキングの登場により各地の諸侯が軍事力の強化をしたためです。

ロベールはシャルル3世と再度戦い(ソワソンの戦い)で戦死してしまいます。

ラウール(923~936)、ルイ4世(936~954)、ロテール(954~986)を経てルイ5世(986~987)が王位につきます。継嗣がないことからカロリング家は途絶えます。

 

厳密にはフランス史は始まっていません。フランスと呼称されるのが一般的に次のカペー朝からです。

 

今回は以上

次回

 

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