王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

フランスの通史② メロヴィング朝

こんにちは。愛知大学王室研究会代表です。

フランス通史①の続きを書いていきます。

注意点として()の数字は国王としての在位年数です。

 前回

 

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メロヴィング朝【466~716】

クロヴィス1世の治世

その中の一つの国家がフランク王国であり最初パリ付近のガリア北部を領有する国家でした。

ゲルマン系フランク人のクロヴィス1世(466~511)がフランク王国の初代国王となります。

f:id:Fujisakiand:20200428171717j:plainクロヴィス1世

この王朝は彼の祖父の名をとってメロヴィング朝と呼ぶことになります。

ここで注意しておきたいのは当時の王国体制は土着の有力者が王に帰属する形で、国王自らすべての土地を一元的に支配していたわけではありませんでした。この体制はフランス革命まで続きます。

クロヴィスは467年という周りのゲルマン系の国家と比べ早い段階でゲルマン民族に定着していたアリウス派から現在のカトリックであるアタナシウス派に改宗することで旧西ローマ帝国貴族と王国内のローマ系の住民の支持を得ることに成功します。

また慣例としてフランスの王がランスの大聖堂(ノートルダム大聖堂)で戴冠式を行い塗油の儀式をするようになったのはこの改宗によるものが始まりとされています。

その後、西ゴード王国を破りアキテーヌ(フランス南西部)を獲得しブルゴーニュ地方に位置するブルングルド王国を支配下に入れます。

 

クロヴィスの死後は息子たちによる分割統治が始まります。

クロヴィスの息子で最後まで生き残ったクロタール1世(558~561)が死ぬ頃には再び王国は統一されており、さらに東ローマ帝国ユスティニアヌス1世によりほかのゲルマン民族の国家は衰退していたためフランク王国がゲルマン系の国家の中で最も有力になりました。

 分割統治と宮宰の台頭

 

そのクロタールの死後分割統治が行われ、長男シギベルト1世には王国の東北部が与えられ後にアウストラシア(中心地パリ)と呼ばれます。

次男のグントラムには南東部のブルングルドを与えられ三男のカリベルトにはアキテーヌ地方を与えられます。

カリベルトが死去するとその支配地で再分配されクロタールの末子であるキルペリク1世がノルマンディーにまで拡大しネウストリアと呼ばれるようになります。

それぞれに国王がいることから分王国として扱われます。

 

ネウストリアの王クロタール二世(613~629)が王国の再統一を果たしますがこの時には分王国での独自性が強まっていたため分王国の貴族の要望を受ける形でパリ勅令を公布しマヨル・ドムス(宮宰)の権力が強くなっていきます。

元々宮宰は王の執事のようなものでしたがパリ勅令を機に次第に公務を行うようになります。


ダゴベルト1世(629~639)が王位につきます。アウストラシアネウストリア、ブルグンドの王位を継承しドイツの最も古い城とされている城をメーアスブルクに築城します。またほとんどの歴代のフランス王が埋葬される事になるサンドニ大聖堂を建造しました。イングランドでいうところのウェストミンスター寺院のような感じです。

f:id:Fujisakiand:20200428173202j:plainサン=ドニ大聖堂
クロヴィス2世(637~658)が王位につきます。当時ピピン1世(大ピピンアウストラシアで宮宰を務めます。ピピンは現在列聖されていませんが古い殉教録には聖人として挙げられておりまた妻のイッタも列挙されており彼女は旅の守護者としてしばしばネズミとともに描かれています。
クロタール3世(658~673)が王位につきます。662年にはアウストラシアでのピピン一家による王位奪還を阻止します。

しかしアウストラシアではピピン家による宮宰の世襲化が定着し、アウストラシアではその後ピピン家による養子を出し一時王位にもつかせています。


キルデリク2世(653~675)、テウデリク3世(679~690)が王位につきます。

ピピン2世(中ピピンは687年のテルトリーの戦いでネウストリア軍に勝利し今後はアウストラシア、ブルグンド、ネウストリア宮宰を兼ねるようになります。
テウデリク3世の子クロヴィス4世(690~694)、キルデベルト3世(694~711)、ダゴベルト3世(711~715)、キルペリク2世(715~721)を経てテウデリク4世(721~737)が王位につきます。

この頃にはカール・マルテル(中ピピンの子)の権力が強く名ばかりの王でした。

キルペリク2世が死去すると743年にキルデリク3世(743~751)が王位につくまでフランク王位は空位のままでした。キルデリク3世が王位につくも廃位されメロウィング家は断絶してしまいます。

 

 

 

ほとんどの国王はただ列挙しただけという形になってしまいました。今回はここまで

 次回

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