王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

世界帝国 第1章 ~モンゴル帝国の末裔ムガル帝国の歩み寄り③~

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こんにちは、明治大学王室研究会代表の菅間です。

 

最近新型コロナウイルスの脅威が広がっています。

人類の歴史は疫病との闘いの歴史でもありますので歴史によくあることとして慌てないで手洗いをするなどして対策するのが一番だと思います。

 

第1章 ムガル帝国編の最後ですので是非ご覧ください!

 

③宗教的寛容


何といってもムガル帝国を治めるのに宗教問題は付きものであった。

ムガル皇帝はアッラー唯一神として偶像崇拝を禁ずるイスラム教を信仰していたのに対して、住民の殆どがシヴァ神ヴィシュヌ神ブラフマー神などの多くの神を持ち、偶像崇拝をするヒンドゥー教を信仰していた。

 

一神教多神教と相容れない両者であるが、人口ではムスリムを大幅に圧倒するヒンドゥー教徒の住民の存在は無視できない。

もしも皇帝がヒンドゥー教徒の住民を敵に回してしまえばその数に圧倒されてしまい、帝国を拡大することは勿論、維持することすら困難になる。

 

ムガル帝国の皇帝たちはそんなヒンドゥー教徒の住民を治めてきたのであるが、皇帝によってそれぞれ違った支配を行い、それぞれ違った運命をたどった。

最悪国家の存亡にかかわる宗教問題であるが、具体的に皇帝たちはどう対応してきたのであろうか。

 

 

◎3代目皇帝 アクバル(位1556~1605年)

 

アクバルはイスラム教徒だけではなくヒンドゥー教徒を含めた全住民の君主になるためにヒンドゥー教徒に歩み寄るような政策の数々を行った。

 

アクバルはヒンドゥー教徒に課していたジズヤ (非ムスリムムスリムに支払う人頭税)やヒンドゥー教聖地巡礼税を廃止し、自身もヒンドゥー教徒であるアンベール王の長女を娶ってヒンドゥー教徒と血縁関係を結ぶなど宗教に寛容な政策を行った。

 

そのおかげで即位当初はパンジャーブの一部のみを支配していたムガル帝国北インドを統一する大帝国に発展し、最盛期に入ったのであった。

 

 

◎6代目皇帝 アウラングゼーブ(位 1618~1707年)

 

ムガル帝国南インドを征服し、最大版図を迎えたのがアウラングゼーブの時代であったが、アウラングゼーブは曾祖父であるアクバルとは正反対の政策を行い大帝国の寿命を縮めてしまったのであった。

 

厳格なムスリムであったアウラングゼーブはイスラム教を強制してヒンドゥー教徒シク教徒に迫害を加え、さらにジズヤを復活させた。これはイスラム教徒として課税を免れるか税を払ってでもヒンドゥー教徒になるかという二者択一を迫ることになる。

 

勿論それによって人口の9割を占める非ムスリム(特にヒンドゥー教シク教勢力)の反発を受けてしまい、シク教徒・ラージプート勢力・マラーター王国の反乱を招いた。

 

さらにアウラングゼーブの死後、帝国の分裂は進行してイギリス・フランスなどのインドへの介入を招き、1858年にインド大反乱の鎮圧によってムガル帝国は滅亡しインドは完全にイギリスの支配下に置かれたのであった。

 

歴史にifは禁物ではあるが、もしもアウラングゼーブもアクバルと同じようにヒンドゥー教徒に融和的な政策を続けていればムガル帝国の運命も少しは変わっていたであろう。

 

前述したとおり宗教的寛容はムガル帝国が存続するうえで欠かせないものであった。

 

 

次回はまとめを挟んで 第2章 清帝国にうつっていく予定ですので引き続きシリーズ「世界帝国」を宜しくお願い致します!

 

 

明治大学王室研究会代表 菅間