王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

シリーズ世界帝国 第1章 ~モンゴル帝国の末裔ムガル帝国の歩み寄り②~

 

こんにちは。

明治大学王室研究会代表の菅間です。

 

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シリーズ世界国第1章

 

ムガル帝国の続きです。

 

②国際性

 

世界帝国であるティムール帝国の末裔であるムガル帝国の世界的な視野は

「マンサブダール制」

という官僚体制に表れている。

 

「マンサブダール」とは「マンサブ(位階)」と「ダール(を持つもの)」という意味を持つ。

軍人・官僚に序列をつけてその官位ごとに給与と兵力を定めた。

 

そんなマンサブダール制の上位を占める貴族層は皇帝と同じ民族であるテュルク系をはじめ、イラン系・インド系など国際性に富んでいた。

 

ムガル帝国の兵力は騎兵を主としているが、特にムガル皇帝に臣従したラージプートの諸王の騎兵が最強であった。

 

ラージプートとはインド中西部の在来のヒンドゥー教勢力の王族であり、クシャトリヤの血統を自称している。

 

ラージプートはインドで一大勢力を築き、ムガル帝国以前にインドを支配したムスリム政権下でも在来勢力として重要な位置を占めており、その原則はムガル帝国でも同じである。

 

ムガル帝国後期になってくるとラージプートの王家がムガル帝国から離反したことによって帝国は弱体化し、イギリスがインドに進出したころにはムガル帝国は虫の息となっていた。

 

それほどムガル帝国は他の民族(特に在来勢力)の存在が欠かせなかったのである。

 

ムガル帝国の言語にも国際性が垣間見えている。

公用語アラビア文字で表記されたペルシア語であり、ムスリム(イスラム教徒)の文化・文明的言語としてペルシア語・アラビア語も使用された。

 

第6代皇帝アウラングゼーブの兄ダーラ―・シコーのようにムスリムでありながらヒンドゥー教聖典の言語にあたるサンスクリット語(梵語)をも理解する者もいた。

 

また、インドにイスラム圏が拡大したことによりヒンディー語文法にペルシア・アラビア系の単語が加わったことによって両者の融合の結晶であり、現在のパキスタン公用語となるウルドゥー語が大成した。

 

ムガル帝国を文化的・政治的に支えた言語は意外にもペルシア語が挙がってくる。

 

ペルシア語は主にイランで話されているが、ペルシア語はアケメネス朝・ササン朝以来の優れた政治体制・文化とともにペルシア文明がイスラム文明に取り込まれた後もイスラム文化として存続し、イラン・中央アジア・インドなどのイスラム世界の文化的言語にもなった。

 

現在もその面影はアフガニスタンの「スタン」(ペルシア語で国という意味)などに残されている。

 

ムガル帝国=インドの王朝」というイメージが強いが、その実態はペルシア語を基盤とした国際色豊かな「世界帝国」である。

 

 

また、ムガル帝国の宗教も多種多様であり、帝国の支配者たちがいかに多宗教の共存に尽力してきたかを③宗教的寛容の面から探っていこう。

 

 

明治大学王室研究会代表 菅間