王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

シリーズ世界帝国 第1章 ~モンゴル帝国の末裔ムガル帝国の歩み寄り➀~

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こんにちは。

明治大学王室研究会代表の菅間です。

今回から2~3回にわたって

ムガル帝国

が、始まりますので是非最後まで見てください!

 

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まずはムガル帝国から始めていこう。

ムガル帝国インドに拠点を置き、一時は最南端を除くインドのほぼ全域を統一した。

これは紀元前3世紀頃にマウリヤ朝アショーカ王がインドの大部分を制圧して以来の偉業である。

一方で、イギリスによるインド支配以前にマウリヤ朝ムガル帝国の2例しかほぼ統一することができなかったほど、インド全域の統一は困難なものであったことを物語る。

また現在でもなお、イギリスから分離独立したインドとパキスタンで分断され、さらにパキスタンからバングラデシュが独立するなどインド全域がまとまりづらい状況に変わりはない。

そんなインドを支配したムガル帝国ではあるが、ムガル帝国の皇帝はテュルク系(トルコ人)のイスラム教徒であるのに対し、支配下の住民の殆どがインド系のヒンドゥー教徒であった。

 

そんな民族も宗教も全く違う住民を、ムガル皇帝はどう支配したのだろうか。

以下の3つのポイントから説明していこう。

 

①血統

②国際性

③宗教的寛容

 

①血統

ムガル帝国の帝室はティムール朝であり、その先祖はテュルク系のティムールにさかのぼる。

ティムールはチャガタイ・ハン国(モンゴル帝国を構成した国の1つ)の門閥貴族出身で、モンゴル帝国の後継者を名乗って中央アジア及び西アジアに大帝国を築いた。

 

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(図1)ティムール帝国最大版図

ティムールはモンゴル帝国の後継者とは名乗ったもののモンゴル帝国創始者であるチンギス・ハンの子孫ではなかった。

そこでティムールとその子孫たちはチンギス・ハンの末裔と結婚してチンギス家の血統に近づいた。

勿論ティムールの子孫でムガル帝国創始者である初代皇帝バーブも母方を通じてチンギス・ハンを祖先に持つ。

バーブルは元々中央アジアにあるフェルガナの領主であったが、ウズベク人によって拠点を追われた後はインドに侵攻して北インドに帝国の基礎を築いた。

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(図2)ムガル帝国最大版図



バーブルにとってインドは縁もゆかりもない土地だった。

その住民も、イスラム教徒である自身とは違うヒンドゥー教徒が多数と治めるのには大変苦労する土地であった。

 

しかし、かつて世界帝国であったティムール帝国の末裔であるバーブルは世界的な視野をもってインドの地にティムール帝国を再建したのであろう。

 

 

次回は

②国際性

③宗教的寛容

の観点からムガル帝国に迫る!

 

明治大学王室研究会代表 菅間