王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

令和2年建国記念の日 〜学生からの新・建国記念の日の提案〜

皆さんこんにちは。王室研究会です。

本日は“建国記念の日”です。紀元2680年の節目を迎えました。誠に奉祝の年に堪えません。

神皇初代に推定されている神武天皇は、現在は奈良県の橿原の宮で即位しました。

明治期からは三大節の一つとして盛大に祝われます。

ちなみに三大節とは正月の皇居宮殿の庭で行われる“四方拝”、当今の天皇の誕生日である“天長節”、そしてこの“紀元節”です。

大正期以降は明治天皇の誕生日である11月3日が“明治節”として加わり四大節と言われました。また、皇后の誕生日は“地久節”として祝われます。

 

前置きはここまでにして、代表の拙筆を失礼いたします。

 

本日建国記念の日

建国記念の日三笠宮殿下」 藤原 令和2年2月11日

 

 我が国の歴史において2月11日が特別な日となったのは、明治期の国威発揚の一環として整備された“紀元節”の制定によるところが大きい。陽暦に変換すると、記紀に伝わる神皇初代神武天皇橿原宮で登極されたのが2月11日にあたるのである。それによって制定された皇紀は今年で2680年を迎えている。神武天皇が即位してよりこのような長い年月が経過してきたことをそれは示している。

 建国記念日ではなく“建国記念の日”である、というような意見を毎年この日を迎えるにあたって様々な場で意見が交わされていることは周知の通りであると思う。戦後、紀元節を含む四大節が次々と廃止されていく中、紀元節もそのような波に襲われ間も無くしてその存在は泡となり消えてしまっていた。当時の日本社会党片山哲内閣によって“建国の日”と名称の変更をもってして紀元節の復興が図られたが、連合国軍によってその条項は削除されてしまった。のちに日本が独立を回復するにあたって紀元節の復興運動が民間の中でも活発になり、やがてそれは“建国記念の日”として紀元節であった2月11日に設置されたのである。

 この時、佐藤栄作内閣は“建国記念日”として設置せず、やはり“建国記念の日”wとして新しい祝日を考案した。戦後に解放された言論の自由は、歴史的根拠が薄い神武天皇に対して目を光らせその存在自体に疑問符を呈していた。歴史的根拠をもって初めて肇国の日を定めるべきとしたのである。

 その先頭に立っていたのは大正天皇貞明皇后の第四子である三笠宮崇仁親王であった。親王は政府や民間が推進する紀元節の復活に対して公然として反対の主張をしていた。親王のこのような発言は右翼たちからの批判の的にもなった。「宮は皇族としてのご自覚が足りない」などの言葉も受けている。しかし、三笠宮は依然として紀元節の復興に対しては強硬な態度を崩さなかった。このような親王の姿勢は右翼だけにとどまらず、左翼団体にも積極的に利用されていた。彼らの永遠の敵である“帝国日本”への中傷の強力な味方として、“菊の御紋の威光”は思わぬところへと差し込んだのである。

 私は三笠宮親王と同様に、歴史的な根拠として裏付けられた“紀元節”の復活はなされるべきではないという考えを示したい。三笠宮が研究していたのは古代オリエント史であった。私と同様に大学の史学科で学問を学び、歴史学の考証の責任について大いに学んだことと察する。歴史学者はその事実のみを重視する傾向がある。史学とは歴史の解明に従事していく者であり、より正確な過去の出来事を発掘していくからである。親王のそのような価値観も史学科で学び古代オリエント史のプライドを持ってしてのものであったのだろう。

 我々が建国記念の日に思うことは何だろうか。それは愛国の精神であると思う。我々は国の成り立ちを遠い神話に想いを寄せ、事実の有無にかかわらずその神話自体を愛でることはできないのであろうか。神話には事実を考証する価値が付随してくるが、重要なのはそこではない。祖先が歴代として伝えてきた神話の“連続性”に価値が存在するのである。そしてその神話には2月11日の神武天皇即位が存在する。我々はそのような部分的な面のみを見つめるようなことはせず、今日まで伝えられてきた“日本国”の成り立ちを思い起こし、国について国民一人一人が深く意識できるような日が理想であると思う。

 愛国というものは本来的に純粋なものであり、そこには愛国以外の不純物が付随することはあってはならない。それは民族の優越性を誇示し他民族排斥につながるナショナリズムの精神とは対になるものである。よって消して交わることはない。そしてまた、愛国とはあらゆる民族、国家に所属する人類が普遍的に持ち合わせているものであり、どのような革命家でもその精神が消滅することはないと考える。この愛国こそが昨今のグローバリズムの波に乗るには必須であり、同時に飲み込まれないためにも愛国は必然的に利用される精神である。つまりは各々の国家が愛国という普遍的で基本的な精神を持ち合わせていることを前提としてグローバリズムは存在し動き出しているのである。

 国民は“建国記念の日”を通じて愛国の精神を再度理解し、肇国の神話から続く日本国の今までの成り立ちを十分に学習していくことが求められている。それを持ってして初めて世界和平への永久なる希求と国家のますますの発展の祈願を実行できるのである。

 

 

歴史的事実のみを批判の対象としてはいけません。その事実に焦点が当たるべきではないと考えます。

それゆえに、三笠宮殿下と同様に歴史的根拠に基づいた紀元節の復興はなされるべきではないと考えます。

今日この日は国民一人一人が日本について深く理解できるような日になれば、これ以上嬉しいことはありません。

 

王室研究会6大学統轄部長 藤原