王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第118代後桃園天皇「月輪陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第118代後桃園天皇の御陵である「月輪陵」です。

それでは、参りましょう。

 

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桃園天皇は父帝を桃園天皇として宝暦8年(1758年)の7月2日に誕生します。間も無く儲君治定、同9年5月15日に親王宣下を受け、明和5年(1768年)2月19日に立太子します。

同年8月9日に元服、同7年11月24日に先帝であり叔母宮である後桜町天皇の譲位を受けて即位しました。

先帝の後桜町天皇は弟である桃園天皇崩御を受けて臨時的に即位しました。桃園天皇の皇子である英仁親王が未だ幼少であったことにより桃園天皇の姉宮である後桜町天皇親王の成長まで玉座に着くことになりました。この親王が後桃園天皇です。

天皇は若くして儲君を受けていたこともあり、後桜町天皇の譲位後は粛々と皇位が継承されました。

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治世には各地で様々な騒乱が相次ぎました。幕府は朝廷官職の数名を汚職事件で摘発しています。

また、生まれつき病弱なこともあり、自身の功績などは目立ったものはありませんでした。

しかし、天皇もまた近世の天皇に見られる傾向として有職故実書を書いています。

『年中さかづきの次第』はその一つです。

そもそも、有職故実書とは如何なるものなのでしょうか?

有職故実という学問は朝廷の古儀事例などを学ぶことを指します。このように、朝廷が応仁の乱によって廃れていく過程を経て、天下太平となった江戸時代では武家公家を問わず盛んに学ばれていました。

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桃園天皇は安永8年(1779年)10月29日、京都は内裏において崩御なされました。

泉涌寺において大喪に付され、夜半に月輪陵に埋葬されます。

 

さて、この後桃園天皇は幼くして天皇の位を約束されていましたが、幼少のために叔母である後桜町天皇によって皇位の中継ぎが行われました。

成長し14歳で登極を果たしましたが、しばらくは上皇となった後桜町天皇院政が敷かれています。

ようやく即位した天皇は体が弱く早くに崩御しますが、先述の通り、有職故実に対する思いは熱いものが見受けられます。

そして、応仁の乱以降に衰退を余儀なくされてきた朝廷ですが、近世の後水尾天皇を初めとして代々の天皇が水をやり続けてきた“王政復古の種子”は次代の天皇によって本格的にその芽を伸ばし始めます。

 

次回、いよいよ幕末王政復古への土台を築いた聖天子、第119代光格天皇です。

 

今回はここまで

 

第118代後桃園天皇 御名:英仁(ひでひと)幼名:若宮

在位: 1771年1月9日明和7年11月24日〉 - 1779年12月6日〈安永8年10月29日〉

桃園天皇第一皇子

 

交通経路

四条天皇陵編を参考

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

明治大学王室研究会代表 藤原