王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第115代桜町天皇「月輪陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第115代桜町天皇の御陵である「月輪陵」です。

それでは参りましょう。

 

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桜町天皇享保5年(1720年)の正月1日に中御門天皇の第一皇子として誕生します。同年に儲君治定、まもなく親王宣下を受けます。享保13年には立太子し同18年2月1日に元服します。同20年には父の中御門天皇の譲位の意向を受けその年の3月21日に践祚、11月3日に及び京都紫宸殿において即位の大礼を挙行しました。宝算16のことです。

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天皇の治世は江戸幕府将軍でいえば徳川吉宗の時期にあたります。享保の改革が将軍の手によって行われていました。朝廷の古儀復興には先帝の中御門天皇と同様に熱心に取り組みました。復活されたばかりの大嘗祭が一時期また衰退しましたが、天皇の時代になってもう一回復興されました。さまざまな儀式を重要視し復興を図った天皇は朝廷の公家たちから特に慕われていたと伝えられています。

桜町天皇自身も数々の和歌集を編纂させています。生涯に5作の御製集を作りましたが、『桜町院御百首』『御製五十首』はその一例です。歌論書も書いており『歌道御教訓書』があります。

また、天皇聖徳太子との共通点が多いことから太子の再来と当時は噂されたようです。

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天皇は延享4年(1747年)5月2日に自身の第一皇子である遐仁親王に譲位します。寛延3年(1750年)4月23日に京都桜町の仙洞御所で崩御なされました。宝算31という若さでした。

5月3日に入棺し18日に泉涌寺で葬送されます。陵形は17尺4寸ほどの九重の石塔です。域内中央のやや南寄りに存在します。

天皇は仙洞御所の桜町殿から桜町院と追号されました。明治維新後において天皇号を送られることになります。

 

さて、この桜町天皇聖徳太子の生まれ変わりとも称され人々から崇拝を受けていたと伝えられています。自身の皇子女には第116代桃園天皇や第117代後桜町天皇がいます。後者は内親王から即位したため女帝ということになります。最後の女帝となりました。

 

数々の御製集を拝見すると、天皇がいかにして朝廷古儀の復興を志し皇統の安定に対して意欲的であったかが読み取れる気がします。

 

今回はここまで

 

第115代桜町天皇 御名:昭仁(てるひと) 幼名:若宮

在位: 1735年4月13日〈享保20年3月21日〉- 1747年6月9日〈延享4年5月2日〉

 

交通経路

四条天皇陵編を参考

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

王室研究会 藤原