王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第112代霊元天皇「月輪陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第112代霊元天皇の御陵である「月輪陵」です。

それでは参りましょう。

 

f:id:Fujisakiand:20200127213420j:image

霊元天皇後水尾天皇の第十九皇子として承応3年(1654年)に生誕しました。幼名を高貴宮(あてのみや)と称します。天皇は後光明天皇の異母皇弟の身でありましたが、生後間もなく後光明天皇の養子として扱われ、“日を嗣ぐ皇子”としての身を約束されました。先帝の後西天皇天皇にとっては異母皇兄に当たりました。

明暦4年(1658年)正月28日に親王宣下を受けています。寛文3年(1663年)正月に後西天皇の譲位に伴い、4月紫宸殿において即位の大礼が挙行されました。1日前に践祚が行われています。御歳10歳という幼さでした。

f:id:Fujisakiand:20200127213347j:image

天皇は幕府に対しては強硬な姿勢を取り続けました。貞享元年(1684)において在位が22年に及んだことを理由に五代将軍徳川綱吉に譲位する旨を伝えますが、綱吉はこれに渋ります。天皇はなおも強い意志を示し続け、3年後に皇太子である朝仁親王(東山天皇)に譲位します。

このことは幕府の意を体していた関白近衛基煕との軋轢を生みます。このようなことから、朝廷はますます幕府からの干渉を受けます。

霊元天皇はその長きにわたる仙洞御所での院政を取り続けたことから「仙洞さま」と呼称されたそうです。しかし、後に天皇院政をやめて東山天皇に政務を委ねています。

また、有職故実書など様々な著作を残しており、学問にも達者だったことがわかります。その例に『法皇八十御賀記』を記し朝廷文化の再興に努め、それは東山天皇治世で身を結びました。

父親の後水尾天皇ほどではありませんが、それでも歴代の天皇の平均数に比べると目立つものがあります。

f:id:Fujisakiand:20200127213351j:image

在位24年の長きにわたる治世を経て、譲位した天皇仏道の道に励みます。落飾し“素浄”と号しました。さらに長い上皇の期間を経て、享保17年(1732年)9月24日に、下御所の仙洞において崩御なされました。御歳79歳のことでした。

その約一週間後に泉涌寺において葬られました。18尺の石塔の形を成しており、域内東北隅に存在します。同域内の他の天皇陵と比較して1尺ほど高い石塔が築かれました。


また、天皇の皇子である文仁親王(アヤヒト)は常磐井宮(後の桂宮)、職仁(ヨリヒト)親王有栖川宮を相続しています。その他にも皇子一人が八条宮を相続しています。

 

さて、冒頭の紅葉鮮やかな写真は泉涌寺で撮影されたものではありません。これは霊元天皇の“歯塚”がある高野山の写真です。本部長藤原が昨年秋に訪れた際に撮らせていただきました。

歯塚も撮影をするつもりでしたが、奥の院のすぐ横に存在するため撮影が不可能かつ許されませんでした。紅葉の様子をお楽しみください。

霊元天皇追号は遺詔により古代天皇孝霊天皇孝元天皇から一文字ずつ取られています。このような例は称光天皇称徳天皇光仁天皇の例も存在しています。

 

今回はここまで

 

第112代霊元天皇 御名:識仁(サトヒト) 幼名:高貴宮(アテノミヤ) 

在位: 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉- 1687年5月2日〈貞享4年3月21日〉

後水尾天皇の第十九皇子 法名を素浄と称し、最後の法皇となる

 

交通経路

四条天皇陵編を参考

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

王室研究会 藤原