王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第111代後西天皇「月輪陵」〜天皇陵制覇の道〜 有栖川宮家からの天皇

こんにちは。王室研究会です。

今回は第111代後西天皇の御陵である

「月輪陵」です。

それでは参りましょう。

 

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後西天皇が誕生したのは寛永14年(1637年)11月16日のことです。

後水尾天皇の第六皇子でした。

慶安元年(1648)年に親王宣下を受けます。

のちには式部卿として朝廷に仕えていました。

先帝の後光明天皇明正天皇が中継ぎの役目の終えたため、それに従い即位しました。

しかし、後光明天皇皇嗣となるべき皇子を授かることなく崩御なされました。

 

この時、皇位継承問題が発生します。

 

そこで、後光明天皇の養子となっていた識仁親王(サトヒト)親王の成長を待つため、後西天皇はいわば中継ぎとして即位しました。

 

ちなみに後西天皇は幼少時に高松宮有栖川宮の旧宮号)を相続していました。

第2代有栖川宮です。

 

践祚は承応3年9月花町殿、即位の大礼は紫宸殿にて行われました。

翌明暦元年11月のことです。

御歳20歳での登極でした。

 

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天皇の治世には度重なる災害に見舞われました。

伊勢神宮大阪城の炎上も発生し、人々は天皇の不徳を責めたということです。

しかし、天皇は同時にこのような災害を受けて朝廷の重要文献の複製を支持するなど、災害に対してしっかりとした対策をとります。

また学問にも造詣が厚く、

『水日集』『集外歌仙』

といった和歌の宸翰や

伊勢物語御注』

といった古典文学の研究にも熱心でした。

 

在位8年におよび識仁親王へ譲位します。寛文3年正月のことでした。

 

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やがて貞享2年3月26日に御歳49歳で崩御なされました。

夜半に泉涌寺において土葬で葬られます。

御陵は高さ17尺で九重の石塔を成しています。

域内西北方です。

 

さて、後西天皇は歴代天皇の中でも天皇自身による著作が比較的多い方です。

治世中に見舞われた災害に心を痛め、その拠り所として学問の道に進むことを余儀なくされたような印象を受けます。

また、自身の皇子たちはあらかじめ皇位継承の可能性がほとんどありませんでした。

天皇の皇子である幸仁親王高松宮家、のちの有栖川宮家を相続しています。

後西天皇後水尾上皇によって完全な中天皇として即位させられました。

それでも皇統の連続を絶やさず朝廷改革に乗り出した後西天皇

このような言い方も良くないかもしれませんがまさに

ワンチーム

の皇室を垣間見た気がします。

 

 

今回はここまで

 

第111代後西天皇 御名:良仁(ナガヒト) 幼名:秀宮 異称:花町宮

在位: 1655年1月5日〈承応3年11月28日〉- 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉

征夷大将軍:徳川家綱

後水尾天皇の第六皇子

 

交通経路 

四条天皇陵編を参考

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

高松宮編纂掛『新修有栖川宮系譜:高松宮蔵版』