王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第87代四条天皇「月輪陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回第87代四条天皇の御陵である泉涌寺の「月輪陵」です。

この泉涌寺の月輪陵・後月輪陵には歴代25陵、5灰塚、9の墓が一緒に安置されています。

※こちらの記事は“後編”となっております。前編は泉涌寺までの道中を綴った記事がございますので、そちらを先にご覧ください。

 

それでは、参りましょう。

 

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毎度お馴染みの宮内庁の木製の看板です。

びっしりと所狭しに文字が書かれています。

その一番右には、四条天皇の4文字があります。

四条天皇は、後堀河天皇の第一皇子でした。

寛喜3年(1231年)に誕生します。

その年に親王宣下を受け、立太子しています。貞永元年(1232年)には先帝の後堀河天皇からの禅を受けて即位しました。

御歳わずか2歳のことでした。

 

幼少での即位は近親者からも仲恭天皇が廃位に追い込まれたことから忌避されていたようです。

この即位は鎌倉幕府の意に反しての即位でした。

幼さ故に、謹慎の公家たちが実権を掌握するようになっていきました。

上皇である後堀河天皇がすでに崩御していたためでもあります。

 

仁治3年(1243年)には、在位10年を迎えていましたが、閑院殿において事故が元で崩御なされました。

御年12歳のことです。

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私たち一般人が近づけるのはここまでが限界です。

足元には鉄の鎖が垂れています。

しかし、そのようなものが無くても不思議とこれ以上前に歩を進める事はできないように感じられます。

真っ白な玉砂利が薄く縦に広がり、正面の唐門へと導いていました。

その中の正面に、四条天皇陵は存在するようです。

 

閑院殿の西側より出た御車は泉涌寺にたどり着きます。

その後埋葬されますが、それには諸説が存在するようです。

しかし泉涌寺に葬られた事は確実とのことです。

陵形は14尺ほどの九重の石塔です。

先述の通り、唐門より正面に位置しています。

 

また、天皇は若年のため皇子女をもうけることがありませんでした。

それ故に幕府と公家たちの間で皇嗣の選別の論争が繰り広げられました。

その時、11日の空位の期間が生じてしまいます。

結局、公家たちが主張した順徳天皇の皇子である忠成王の即位とはならず、土御門天皇の皇子である邦仁王(のちの御嵯峨天皇)が即位する運びとなりました。

これにより、幕府が皇位継承に際して優位に働くようになってしまいました。

 

あまりに若くして崩御した四条天皇

東山の泉涌寺でたくさんの皇子孫に囲まれて眠っています。

 

今回はここまで。

 

第87代四条天皇 御名:秀仁(ミツヒト)

在位:1232年11月17日貞永元年10月4日〉- 1242年2月10日〈仁治3年1月9日

 

交通経路

東福寺駅から徒歩18分

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

藤原