王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第74代鳥羽天皇「安楽寿院陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第74代鳥羽天皇の御陵である「安楽寿院陵」です。

近衛天皇編から間が開いてしまいました。なるべく、随時更新できるように努力していきます。

 

それでは、参りましょう。

 

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鳥羽、白河、後白河。この三代の天皇上皇として院政を敷いたことでは、特に著名でしょう。この地はその舞台となったところのようです。

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今回は鳥羽天皇堀河天皇の第1皇子です。康和5年(1103年)に生誕します。この年に親王宣下を受けると、間も無く立太子しました。そして嘉承2年(1107年)の7月に、堀河天皇崩御に伴い即位します。
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この近辺を歩いていた際に、地元の方とみられる男性に声をかけられました。その男性は「ここの辺は鳥羽さんや白河さんが院政をやっとたところや」と私に話してくれました。京都の人たちは‘‘天皇’’という存在に対して非常に親密に接する部分があります。しかし、そこには深い敬意が感じられます。
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陵形は深草北陵を思い出させるような「法華堂」です。白い塀に囲まれ、中央には門があります。石柵の向こう側は白い玉砂利が参道を導くようにして整えられています。手入れが行き届いた松の木が左右に非対称にして並び、後方の社叢から覗く日の光が御陵を照らしていました。
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私の背では法華堂の頭を見ることがやっとでした。硬くしまった門の向こう側が気にならないと言えば嘘になります。しかし、その先は聖域です。ここでは仏教式の御陵のため、手を合わせて参拝を奉告します。

 

さて、この鳥羽天皇崇徳天皇を讃岐に流したことでも有名ですね。幼き近衛天皇を即位させ自身の院政を続かせるためでした。鳥羽天皇自身もまた、その生涯の一部を白河天皇院政に捧げていました。5歳で即位した天皇は当然として政務を執る力はありませんでした。

白河上皇崇徳天皇が生まれると、鳥羽天皇白河上皇から譲位を迫られます。そして、鳥羽天皇は21歳にして譲位し、上皇となりました。この時、白河上皇が「本院」、鳥羽上皇が「新院」と呼ばれました。

27年という長きにわたり上皇として君臨しますが、保元元年(1156年)7月に崩御なされました。御歳54歳のことでした。

 

まもなく、京の鳥羽の地に御陵が営まれます。そのとき、2つの塔が作られますが、その1つは近衛天皇の三重塔です(当時は三重塔だが近世に火事のため焼失。豊臣家により多宝塔の建立)。そしてもう1つが鳥羽天皇の御陵でした。度重なる火災などで、荒廃していた陵でしたが、慶長9年にあたり、保全修理が行われました。それが現在の法華堂の形をなしています。

 

私もこの鳥羽天皇陵に関して色々調べてみたのですが、なかなか全容が掴めません。そのような御陵の方が少ないのですが。。。

 

今回はここまで。

 

第74代鳥羽天皇 御名:宗仁(ムネヒト)

在位: 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉- 1123年2月25日〈保安4年1月28日〉

堀河天皇の第1皇子。

 

交通経路

近衛天皇陵編を参考

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

明治大学王室研究会 代表