王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第76代近衛天皇「安楽寿院南陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第76代近衛天皇の御陵である「安楽寿院南陵」です。

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では参りましょう。

 

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住宅街に潜むこの天皇陵は、鳥羽白河両上皇院政を行なった地の近くにありました。

毎度のことですが、この宮内庁の看板を見ると胸が高まります笑。

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天皇陵の生垣を挟んだ向こう側はすぐ民家があります。京都の人たちは本当に天皇と身近に暮らしているんだな、と思いました。

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少し伸びた玉砂利を進むと、右側に立派な多宝塔が見えます。

この日は日輪高くそびえ、涼しい秋風がやさしく頬を撫でる絶好の天皇陵巡り日和でした。f:id:Fujisakiand:20191228134659j:image

真っ白な砂利の奥には、塀に囲まれた多宝塔が紺碧の空に伸びています。しばらく、その美しさに見惚れてしまいました。

 

さて、この近衛天皇は、第74代鳥羽天皇の第7皇子として、保延5年(1139年)に誕生します。

先帝である崇徳天皇は、白河上皇の御落胤とされていましたが、鳥羽上皇を父としていました。崇徳天皇は、鳥羽天皇からの迫害を受け、その位を下ろされます。崇徳院はその後、讃岐に流され「日本三大怨霊」として恐れられますが、それはまた別の話。

近衛天皇崇徳天皇に代わって御歳3歳で即位します。時に永治元年12月のことでした。崇徳天皇の皇太弟と称し、鳥羽天皇の旨を受けての即位でした。

鳥羽上皇院政を執った為、天皇は事実上の飾りでしかありませんでした。

天皇は摂政である藤原忠通を嫌い、それを除く事を試みましたが、すべて上皇によって妨げられてしまいます。

また天皇は容姿端麗であったということです。NHK大河ドラマ平清盛」では俳優の北村匠海さんが近衛天皇を演じていたことでも話題になりましたね。

天皇は一生を和歌に専念しました。しかし、眼病を患っていた天皇は、17歳という若さで、近衛殿において崩御なされました。在位14年。久寿2年(1155年)8月29日のことでした。

左京太夫光隆朝臣が火葬後に拾骨しています。

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この近衛天皇陵は歴代唯一の国造建築の多宝塔の陵形を成しています。なぜ、こんな形になったのでしょうか?

実は、この多宝塔は元来、天皇のために建築したものではありませんでした。鳥羽天皇の美福門院という方の陵として最初は竣工しましたが、その美福門院が高野山に葬られたため、この多宝塔は俗な言い方ですが、「空部屋」となってしまいました。

既に、火葬が終了し、収骨を済ませた近衛天皇の御遺骨は知足院の仏殿に安置されていましたが、これをこの多宝塔に崩御から8年後に納め奉ったということです。

内陣には阿弥陀如来像。外陣には大日如来が安置されています。高さはおよそ28m。四方に4つの扉が設けられています。

二度の火災や慶長の大地震で倒壊していますが、豊臣秀頼が修繕をし、今の形が伝えられています。

 

近衛天皇陵は様々な背景から、予想もつかないような形になりました。天皇は若年で崩御しますが、このような立派な陵を見ていると、生前の不遇な御身もどこかに鎮まっていくような気がします。

 

今回はここまで。

 

第76台近衛天皇 御名:体仁(ナリヒト)

在位: 1142年1月5日〈永治元年12月7日〉- 1155年8月22日〈久寿2年7月23日〉

鳥羽天皇第7皇子。崇徳天皇の皇太弟とされる。

 

交通経路

竹田駅から徒歩6分

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

明治大学王室研究会 代表