王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

上皇陛下御誕生日 御年86歳へ 今年から平日に

こんにちは。王室研究会です。

久々の「天皇陵シリーズ」以外の記事になります。

そして、上皇陛下におかれましては、12月23日をもって御生誕の清き日となったこと、謹んで奉祝いたします。

以下メンバーによる執筆です。

 

上皇さま 今日86歳の誕生日 【NHK NEWS WEB】
 
太上天皇上皇」 令和元年 12月23日 
 
 「上皇」という言葉が使われるのは皇室の長きの歴史の中でも初めてのことである。「後鳥羽上皇」という天皇がいたことは、少なくとも中学校レベルの日本史の教養を持っている人であれば、その名前を挙げることができるだろう。この後鳥羽上皇は、承久の乱を起こしたことでも知られている。ちなみに、皇室の御紋が菊に定められたのもこの時代からと言われている。上皇が菊の花を大変好んだことがその由来だ。また、承久の乱に際して上皇は錦の御旗を使用した。錦の御旗の歴史は、皇室の敗戦から始まったことになる。上皇は北条氏により隠岐島に流された。
 上皇という言葉は、「太上天皇」の略称であった。古代の皇室においては、天皇は先帝の崩御に伴い直ちに即位することになっていた。先帝が譲位をするようなことは考えられなかったのである。しかし、皇極天皇孝徳天皇に譲位し、皇極天皇太上天皇の尊号を受けることになった。このように、譲位が行われ太上天皇こと「上皇」が生まれたのは7世紀付近のことだったのである。
 
 天皇と譲位について考察したい。天皇が譲位する時、それは必ずしも吉となるようなことではなかった。例えば、江戸時代の後水尾天皇紫衣事件に際し譲位の意向を江戸幕府に伝えた。紫衣事件とは、大徳寺の僧侶である沢庵宗彭が朝廷の独断で紫衣を受け取った一件である。禁中並公家諸法度では、朝廷は幕府の許可なく僧侶に紫衣を下賜することは禁じられていた。それに反対した天皇沢庵宗彭が幕府によって咎められ、天皇はこれに抵抗の意を示すために、譲位の意向を示したとされている。これは譲位というものが必ずしも円満なものではないという一例だ。結局、後水尾天皇は女帝である明正天皇に譲位した。
 
 冒頭の話題に戻りたい。上皇太上天皇の略称であることが普通だった。しかし、今回皇室典範の臨時法で譲位した当今の上皇は「太上天皇」を略された「上皇」ではないのである。つまり、「上皇」という全く新しい名称が成立したことになる。今回の上皇の譲位は現在の皇室の直系での先祖である閑院宮家からの天皇である光格天皇以来ということになっている。しかし、光格天皇は譲位後に「太上天皇」の略称である「上皇」を名乗っているが、先にも述べたが、当今の上皇は「上皇」という新しい名称を用いているので、事実上最後の「太上天皇」の略称である「上皇」は光格天皇ということになる。
 今上天皇の即位に伴い、皇嗣秋篠宮皇嗣となる運びとなった。この「皇嗣」も公式上では今まで存在しなかった言葉である。しかし、兄から弟への即位が多かった古代においては、皇嗣という言葉は慣例上の上で使用されていた。正式な名称としては「皇太弟」が正しいだろう。また、歴史上皇室は先帝に皇胤たる皇太子が存在しなかった場合、他の傍系宮家からの皇胤が天皇の養子に入り、それをもって皇太子と呼称されていることもあったので、皇嗣という言葉が使われることは少なかった。
 明治時代に入り皇室の養子が禁止されてからは、このような状態になることはなかった。しかし、今上天皇に男子が存在せず、他の宮家にも男子がいない中、皇太弟である秋篠宮が「皇嗣」の名称を用いて立皇嗣することは自然なことであると思う。
 
 これら令和の御世に新しく生まれた「上皇」と「皇嗣」という名称には賛否両論があることと思う。「皇嗣」に関してはその意味を「皇位を嗣ぐ」と読み下すことができる。つまりは、皇太子もその意味するところに従えば、「皇嗣」となる。よってこれに関しては私は特に異議申し立てをするようなことはないと思う。しかし、皇太弟という言葉が正式に使われてきた歴史がある以上、そちらを用いても良かったと思う。
 「上皇」に関しては、私はなぜ正式名称を「太上天皇」にしなかったのか甚だ疑問である。それの理由として二重権威を指摘するものがいる。天皇上皇の間に彼らはそれを見出しているのだろう。また、今回の上皇の誕生に伴い「上皇旗」が新たに作られた。これは「天皇旗」よりも濃い赤の錦で折られている。このことに関して批判する者がいたが、これも何が悪いことなのか私には見当もつかない。
 
 宮内庁及び政府は堂々と「太上天皇」という言葉を使用するべきだっただろう。二重権威を指摘するものたちは、最初からそこに権威などを見つめていない。そもそも、私は上皇天皇、またはそれ以外の皇族というように個々に対して敬意を抱くことは間違っていると思う。皇祖皇宗より紡いできた皇室の長きの歴史と、現在の皇室を一体となし、崇拝の念を抱くことが本物の「皇室護持」ではないだろうか。
 
 今回の臨時法は上皇天皇時代にその御名と御璽をもってしての「綸言」である。それを覆すことは勅命に反することと私はみなす。よって「上皇」という新しい名称は久遠に伝えられ、未来の先例となることを今は望んでいる。 
 

上皇陛下の御世であった平成から、今上天皇の御世である令和になり、その元年がまもなく終わろうとしています。

皇室の弥栄は、令和の世も、その先の世も、千代に八千代に続くことを祈願します。

最後に、重ねて、「上皇」陛下の天長節を謹んで奉祝いたします。

 

明治大学王室研究会 代表