王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第104代後柏原天皇「深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜

皆さんこんにちは。王室研究会です。

今回は第104代後柏原天皇の御陵である「深草北陵」です。

 

深草北陵の沿革は本シリーズ、『後深草天皇深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜』において詳細を記させていただきました。そのため、深草北陵の詳細は省略します。是非そちらもご一読ください。

 

では、参りましょう。

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応仁の乱は京都に甚大な被害を加え、その後遺症がまだ色濃く残る中、先帝の後土御門天皇崩御しました。

当時の朝廷には、先帝の御大葬を執り行うお金が無く、先帝が正式に葬られたのはその崩御から43日の経過の後でした。

そんな中、後柏原天皇は“践祚”こそ果たしましたが、即位の大礼を開くことがしばらくできませんでした。

明応9年(1500年)に三種の神器を受け継ぎました。その時天皇は御年37歳。寛正5年(1464年)に誕生してから長い年月が過ぎていました。

朝廷は諸国に段銭を課し、幕府は朝廷に献金を行うなどあらゆる方面から献上されてきましたが、全て微々たるものでした。

大阪の本願寺の僧である光典が儀式の費用を献じ、また幕府もそれに応じて献ずると、践祚から既に21年にして、漸く即位の大礼が紫宸殿で執り行われました。大永元年(1521年)3月のことでした。

そしてそのおよそ5年後、天皇は在位26年にして大永6年(1526年)5月28日に小御所において御年63歳で崩御しました。

同年同月、幕府から銭6万が献じられ、それが天皇の御大葬と新帝の践祚の儀のための資金として賄われました。

夜半に泉涌寺の裏庭で火葬に付し、御遺骨を参議右近衛中将庭田重親が収骨し深草北の法華堂に納めました。

 

さて、この後柏原天皇ですが、践祚から即位までの期間が非常に長いことで知られています。

桓武天皇より、古代から受け継がれてきた皇位の印である三種の神器を継承すること:践祚と即位を内外に示し高御座に登る儀式:即位が別々に行われるようになりました。

この両方をもってして初めて“登極”となされたのです。

即ち、どちらか片方しか通過していない天皇は完全たる皇位についている、とはみなされないことが多くありました。

第85代仲恭天皇承久の乱の敗北に従って廃位に追い込まれ、即位礼に加えて大嘗祭も行われなかったので「半帝」と称されていました。

南北朝に分かれた際、本物の三種の神器南朝側が保持していたことから、南北朝論争の際に南朝が正当であることが決まりました。

それほど重要な即位の大礼を天皇崩御する5年前に行いました。

天皇はまた、伊勢神宮に平安を祈祷したり、疫病が流行する時期は般若心経を諸寺に下賜するなど民を常に思いやりました。

朝廷の財政悪化や自身の即位礼の開催も顧みず、世の平安に努める天皇は、苦しい生活の中でも激動な時代を生き抜いた天皇として脳裏に映ります。

 

今回はここまで。

 

第104代後柏原天皇 御名:勝仁

在位:1500年11月16日〈明応9年10月25日〉 - 1526年5月18日〈大永6年4月7日〉

後土御門天皇の第1皇子

 

交通経路

阪急藤森駅から東方面へ1km

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

王室研究会 代表