王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第101代称光天皇「深草北陵」〜歴代天皇陵制覇の道〜

こんにちは。王室研究会です。

今回は第101代称光天皇の御陵である「深草北陵」です。

 

深草北陵の沿革は本シリーズ、『後深草天皇深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜』において詳細を記させていただきました。そのため、深草北陵の詳細は省略します。是非そちらもご一読ください。

 

では、参りましょう。

 

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応永8年(1411年)3月19日に誕生した称光天皇は、同年21年に後小松天皇の譲位を受けて即位します。その時御年は14歳。土御門東洞院の仮皇居に住んでいました。

生来病弱であった天皇は、そのほとんどの政務を上皇たる後小松天皇に握られており、在位中は特に目立つような事件や功績はありません。

精神が不安定に陥り、宮中での奇行が目立ち始めていました。

そんな天皇の病態は回復に向かうことなく、正長元年(1428年)9月8日の仮皇居の黒戸において崩御なされました。御年28歳でした。

同月24日に御入棺となり、葬送は泉涌寺の僧徒の奉仕によって行われました。その時、棺を赤地錦で包んだそうです。糸毛の車(特に高貴な人が乗る牛車)に奉じて泉涌寺に入り、同寺で荼毘に附しました。御遺骨は30日権中納言勧修寺経成卿が深草の法華堂に納めたということです。

気弱の天皇には跡継ぎになる皇嗣が存在しなかったため、天皇の在位中から皇位継承問題が発生しました。天皇崩御の後、伏見宮貞成親王の皇子である彦仁王を後小松天皇の猶子として即位させました。これが後花園天皇です。

 

さて、称光天皇には皇子が存在せず、このことは当時の幕府と朝廷を悩ませました。

皇嗣としてふさわしい皇族は既に出家していることが多く、猶子の選別には苦労を要しました。

そこで持ち上がったのが、伏見宮貞成親王の第1皇子である彦仁王です。王には弟がおり、これが貞常親王です。この貞常親王伏見宮家を貞成親王から継いでいます。

戦後に臣籍降下した11宮家はいずれもこの弟の伏見宮貞常親王を共通の祖先としています。そしてその兄である彦仁王は後花園天皇として即位しますが、この皇統が現在の天皇家です。つまり、2人の父親である伏見宮貞成親王が現在の皇室(天皇家秋篠宮常陸宮三笠宮高円宮)と旧11宮家の共通の祖先ということになります。

しかし、江戸時代の光格天皇閑院宮家出身であり、伏見宮の流れを汲む先帝の後桃園天皇の皇女である欣子内親王中宮としているため、光格天皇からは女系として伏見宮の流れを継ぎ、男系として閑院宮の流れを継いでいることになります。それが現在の皇室です。

この辺は大変複雑で、私も確信を持っての主張が困難です笑。

また詳細を話せる時が来ると思います。勉強あるのみです。

 

今回はここまで。ありがとうございます。

 

第101代称光天皇 御名:実仁(ミヒト)

在位:応永19年8月29日〈1412年10月5日〉- 正長元年7月20日〈1428年8月30日〉

後小松天皇第1皇子。

 

交通経路

京阪藤森駅から東へ1km

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

王室研究会 代表