王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第92代伏見天皇「深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。毎度、王室研究会です。

今回は第92代伏見天皇の御陵である「深草北陵」です。

この御陵は持明院統の12の天皇が眠っていることから「深草十二帝陵」と言われています。

 

深草北陵の沿革は本シリーズ、『後深草天皇深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜』において詳細を記させていただきました。そのため、深草北陵の詳細は省略します。

ぜひ、そちらもご覧ください。

 

では、参りましょう。

 

     f:id:Fujisakiand:20191219221623j:image

伏見天皇が眠る深草北陵は法華堂の陵形を成しています。

弘安10年(1287年)に践祚、翌正応元年(1288年)3月において即位なされました。時に御年24歳。父である後深草天皇は4歳で即位したので、子の方は青年での即位ということになりました。

在位11年を全うし、皇太子である後の後伏見天皇に位を譲ります。

文保元年10月16日、53歳で持明院に於いて崩御されました。

深草の山で荼毘に付した後、臣下がご遺骨を奉じて深草北の法華堂に納め奉ったとのことです。

 

この当時、持明院統は隆盛を極めていましたが、このことが大覚寺統との溝をより深くしていきました。

その例に、伏見天皇暗殺未遂事件があります。甲斐源氏の浅原為頼一族が右衛門陣から天皇の命を狙い、武装した勢力が戦闘状態になりました。宮中は一時騒然としましたが、伏見天皇は女装してこれを逃れ、為頼は自害しました。

これは当時、大覚寺統亀山上皇が関与しているという噂が流れました。しかし、上皇は自らの潔白を証明するため幕府に対して誓いをたてたということです。

 

天皇は和歌や書道に優れていました。

     f:id:Fujisakiand:20191219224246j:image
鎌倉の円覚寺の山門には伏見天皇勅筆の「円覚興聖禅寺」の6文字が見えます。これは統轄が今年の夏に撮影したものです。

また、藤原為兼に命じて万葉集以下の和歌を選ばせて、『玉葉和歌集』を編纂しました。

 

"文"と"政"に長けていた天皇。臣下にとっては頼もしい君主だったと推察します。

 

今回はここまで。

 

第92代伏見天皇 御名:熙仁(ヒロヒト)

在位:1287年11月27日〈弘安10年10月21日〉- 1298年8月30日〈永仁6年7月22日〉

後深草天皇の第2皇子。後宇多天皇の譲位を受けて即位。

 

交通手段 

拙記事、『後深草天皇深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜』をご覧ください。

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』

 

王室研究会統轄部長 藤原