王室研究会連合活動記録

大学連合サークル、王室研究会の日々の活動を綴ります。

第89代後深草天皇「深草北陵」〜天皇陵制覇の道〜

こんにちは。藤原です。

今回は後深草天皇陵である「深草北陵」。

こちらには総勢12の天皇と1の親王が合葬されています。

では参りましょう。

 

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すぐ脇を電車が通り、その車窓からもこの御陵を眺めることができます。

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私は勿論、駅から徒歩で参拝。踏切を渡る前と後で世界が変わったかの様な錯覚を受けます。
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カンカンとなる踏切の残響もまだ胸に残る中、参道に入ります。

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石で作られた柵の向こうには白い砂利が参拝者を導く様にして波状に広がっています。

そこには2本の松の木だけが白い海の中に浮かんでいるかの様です。

塀に囲まれた法華堂。

私はその姿を屋根しか捉えることができませんでした。

頻繁になる踏切の音さえも煩わしいと感じさせない、不思議な場所です。

 

さて、この「深草北陵」は持明院統天皇12代がまとめて葬られているため別名深草十二帝陵」とも言われています。

嘉元2年(1304年)8月25日、後深草天皇崩御に際し、夜半深草山でご遺体を荼毘に付した後、法華堂の建立に着手。

時に嘉元3年(1305年)8月29日において法華堂が完成しました。

その法華堂の大きさは軒高およそ3メートルです。

瓦葺きで周囲は土塀を巡らし、正面に冠木門が建っています。

現在の法華堂は江戸時代に当たる元治元年(1864年)に修理、とのことです。

 

後深草天皇は御年4歳にして即位したいわば「幼帝」でした。

父の嵯峨院の命により、14年の在位の後に弟の亀山天皇へ位を譲り、落飾して「素実」と号しました。

嵯峨院亀山天皇を可愛がっていたこともあり、亀山天皇の皇子である世仁親王(後宇多天皇)を皇太子として指名しました。

しかし、当時の鎌倉幕府上皇となっていた後深草院の皇子である熙仁(ヒロヒト)親王伏見天皇を立てました。

この時、後深草院は初めて"釈然"たる思いを抱いたそうです。

 

後深草天皇亀山天皇はそれぞれ持明院統大覚寺統を形成し、後に鎌倉幕府両統迭立の制度を定めて、この両者の仲介を担います。

 

深草北陵にはあと11の天皇と1の親王が眠っています。お一人ずつ丁寧に解説していきたいと思います。

 

今回はここまで。

 

第89代後深草天皇 御名:久仁

在位:1246年2月16日〈寛元4年1月29日〉- 1260年1月9日〈正元元年11月26日〉)

後嵯峨天皇の第2皇子。鎌倉時代の動向が朝廷に波及してくる波乱な時代に生まれる。宗尊親王親王将軍として鎌倉に下向する。

 

交通手段

京阪藤森駅から東方面に1km

 

参考文献

北島静雄『歴代天皇陵総覧』新風舎

合田安吉『歴代御陵めぐり』大文館

笠原英彦『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』