王室研究会連合活動記録

非公認サークル、明大王室研究会の日々の活動を綴ります。この記事は代表一人で運営しています。サークルの総意では無いため、ご了承ください。日本皇室担当が執筆しますので、皇室の関連したものが多くなります。

#秋篠宮家を守ろう 〜竹の園生の御身にて〜

こんにちは。

本日は、皇嗣殿下の御誕生日ということです。

先日のパレードでは皇后陛下のお美しさはもちろんのこと、紀子妃殿下も相勝る美しさでした。

 

以下毎度、メンバーによる執筆です。

 

 

秋篠宮さま きょう54歳の誕生日 【NHK NEWS WEB】
 
秋篠宮家に対する不当な糾弾をやめよ」令和元年 11月30日
 
 現在の皇室の皇統は、江戸時代後期に即位した119代光格天皇まで、直系で繋がっている。この光格天皇は、先帝の118代後桃園天皇崩御を受けて即位した。元より光格天皇は、新井白石によって新たに設置された「閑院宮家」の出身だった。その当時、幕府は朝廷への融和策とともに、皇胤の減少問題も兼ねて、新たに世襲親王家を設置したのである。その時、すでに存在したのは伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家であった。そこに閑院宮家が創設され「世襲親王家」と号されたのである。
 高校日本史Bにおいて、「尊号事件」という言葉を習うと思う。これは光格天皇が、父である閑院宮典仁親王へ「太上天皇」の号を送ることを幕府に求めたが、松平定信がこれを拒否した一件である。当人も、いずれは聖護院門跡を継ぐこととされていたが、皇嗣となる皇子が存在しなかった先帝において、突然にして皇嗣として建てられ、即位した。父よりも位が高いことに違和感を覚えたのだろう。
 皇胤の不足という事態は、幕府に権力を保持させている朝廷の威光にも陰りが指す。現在の日本の皇室に、再び暗雲が差し込まれている。皇太子徳仁親王践祚に伴い、皇嗣秋篠宮皇位継承順位第一位となった。このことは、光格天皇以来に始まる閑院宮の皇統から、秋篠宮の皇統に移ることを指す。以来220年ぶりのことであろう。そして、皇嗣宮家の第一皇子、悠仁親王が御年13にして皇位継承順位第2位となる。このままいけば、皇嗣宮の即位の後、悠仁親王皇位を継承することになるだろう。
 周知、秋篠宮第一皇女の眞子内親王の婚約問題は、2年の月日が経過しても尚、収束の気配は見当たらない。不肖なるマスコミは、この問題の責任を皇嗣宮に押し付け、さらにはあろうことか、2人の内親王に加えて紀子妃にまでその不条理なる牙を剥いている。この問題の根源を辿れば、自ずから答えは見えてくる。小室圭氏の母親にその問題の焦点は来るだろう。彼女が何らかの会見を開き、問題の説明責任を果たせばよいのだ。無論、このような事態の中、小室圭氏の留学はいかがなものかと思う。しかし、その母親に問題がある以上、母親が主体となって動くべきであろう。皇嗣宮も、1人の父親として、はたまた2000年の皇統の一員として、相当気苦労をしていると察する。
 現在、ネット上においても秋篠宮を中傷するような文言が散見している。「皇嗣として相応しくない」「愛子様天皇へ」などといった意見は甚だ浅はかであり、遺憾と言わざる得ない。最も、現憲法下において、即位に伴い国民の「総意」が重んじられるのはいうまでもない。しかし、我々に天皇を選ぶ権利もまた、存在しない。皇室というものは、我々が思うよりも閉鎖的である。皇室には皇室の歴史があり、それは今も尚日本国民の総意により「黙認」されている。つまりは、日本国民の大多数は皇室に関心がないのだ。関心のなさ故に、皇室は皇統を繋ぐことができている。皇室に関心が集まる時、それは歴史上日本国の危機であった。今はどうだろうか。きっとこの問題は消化され、皇嗣宮が即位することになれば、マスコミは掌を返し、表面上の祝福示すだろう。それは、当今の皇后陛下が受けたものと同じである。
 我々は唯一の親王を抱える秋篠宮家をなんとしても守らなくてはならない。悠仁親王が誕生した当時、日本列島は歓喜に沸いていた。数十年ぶりの親王は未来の天子として認識された。しかし、悠仁親王の下には、男性の皇族が存在しない。私たちはこの問題について真っ先に議論すべきであり、安定的な「男系継承」について考えていかなくてはならない。

(了)

 

 

 

皇室は傍系主義です。遡れば神武天皇にたどり着く男性皇族の方すべてが皇位継承権をお持ちになります。

 

皇嗣殿下、悠仁親王殿下も同様です。

 

私たちは皇統を女系にせんとして皇嗣宮家を糾弾し、いづれは皇室を滅ぼすことを企てる輩に、常に目を向けていかなくてはなりません。

 

王室研究会連合 代表